長野県乗り潰し鉄道旅行旅!小海線と上田を語ったブログ【前編】
ど、どうも
1週目の終わりにしてようやくオンライン授業(授業しない)に慣れたshesです...笑
9月も中盤に実質職業無職生活(学生)をいやいや経験?してるわけなんですが
学校がないと、ちと安堵する事もあります
あれこれやる事を考えなくてもいいですし…
夏休みもそれなりに楽しんできたので、時間が過ぎるのがあまりに早すぎた...
それで気持ち的にも準備できていなかったようです
まあ、準備ってなにやねんって話なんですけどね(笑)
予期せずに、なりゆきで不安ごとがなくなりホッとする時って結構ありませんか?
他と違ってそこにだけあるべきものがないことを「エアポケット」といったりします
風がなくて(気流が下向き)飛行機が下降する空域を言うのが元意らしいですが、僕は上のような時をこう呼んでいます
ネガティブなイメージじゃなくて。
でも高校時代にそんなのがずっと続いてもイヤですね、やっぱり...
だから社会が超上昇気流に乗ることを超心待ちにしています!
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さて、相変わらず話の持ってき方が下手なわけですが(笑)
今回は8月12日、ちょうど1か月前に長野エリアの鉄道乗り尽くし旅行をしてきた時のことを書いていきます。よろしくお願いします!
実はこの日の週(9~14日)は清里に滞在していました。なので清里駅の出発です^−^
ここは昔からの観光地で、名前を知っている方も多いんじゃないでしょうか?
今夏は久しぶりに18きっぷを【買わなかった】ので、初めてのフリーパスの旅です!
ちなみに2018年冬以降、コロナ初期の春を除いて全て買っていました、貧乏人ですw
長野県はほぼこれで何とかなっちゃう何気凄いきっぷです
この駅舎、新しそうに見えて長いこと使われているんですよねー
さて、実はここは標高がJRの駅で2位ともあって、この日も長袖でいいくらいの気温でした!
さて、写真を使いすぎているのでテンポ上げます笑
はじめは小淵沢方面でも小諸方面でもよかったのですが、新幹線に乗りたかったので小諸行きに乗りました!
スタートです!
小海線は地方交通線の分類、つまりローカル線で、全長約80キロの長めの路線で
身延線と同じくらいの長さです(地味)
隣の野辺山からはもう長野県になります
このスポットは有名になりましたねー
野辺山も清里のように観光地となっております。高原野菜は美味しいですよねー
でもどうしても清里が好きなので、長野県の野辺山は敵対視してしまいそうです(笑)
古淵沢からこの先も途中路線真ん中の小海あたりまでは、まさしく山岳路線となっています!
窓に木の枝がぶつかることもしばしば
これが高原列車ならではで好きです^^ ちょっとビビりますが(笑)
信濃川上といかにも長野県ぽい駅からは大学生くらいの男女グループ(4人組)が乗り込んできました 研究とかあるんでしょうかね...面白そうだなぁと思ったり
このあたりは駅間が普通に7、8分あります。田舎ですねえー
ちなみにここは手書きの補充兼の取り扱いがあります
次の佐久広瀬駅まではなんと10分もかかります!JR東日本でもかなり長い方です
佐久調整高校の最寄りかと思いましたか?大不正解です。
この駅は筋金入りの秘境駅です。まわりに本当に家がありません。無論店も
実はここ、僕がまだ鉄道に興味を持ち始める前の小学5年生(2015)の時に家族と初めて訪れた駅なんです!
当時は愕然でした。ここに取り残されたら死ぬかもしれない...
ここで一晩明かしたという人がいたら、僕は尊敬します(笑)
このあとは
こんなきれいなところを通ったり
不思議な蛇行をしている川を見たりして
また鉄道以外で来づらい秘境駅を眺めつつ(焦らし)
小海駅到着です!
ここからは突如山岳地帯から畑田んぼばっかりの綺麗な平地になります…
小海線の平地部分は晴れた日は空が抜群に綺麗で、最高のロケーションを通ります(^^)
この路線、実は2面性を持ち合わせてるんです
この日も前後の日の悪天候に挟まれながら奇跡的に晴れていました!
しかし前日夜中きっぷについて調べまくっていた結果かなり寝不足だった僕は、なんとここで力尽きましたとさ
次に乗り換える駅まで、見事に爆睡...
悔しかったので去年撮った写真を貼りますw
そして佐久平に到着ー
ここで北陸新幹線に乗り換えます!
新幹線との乗換駅ですが、ホームは意外にも超ちっちゃいです(笑)
しかも高いとこ走ってそうな新幹線か1階で、非電化の小海線が高架で見下ろしているというツッコミどころ多めの駅です^^
駅弁は何かないかなあと探しましたが、コンビニ含め一切売っていなかったので残念...
長野まで行くと高すぎて払えないので
日本史の勉強に上田城を見学しにいくため
ここから上田まで1区間だけ乗車します!
ちなみに自分の日本史知識レベルはかなり低いです、笑
このあたりの小さめの駅は新幹線駅といえど停車列車は1時間に1本とかもザラですが、ローカル線から接続を取ってくれているので結構乗りやすくなっています!
在来線の途中で新幹線利用をするとスピード感覚が狂います
改めてすごい乗り物だと思います...
10分くらいで上田到着!超便利!
さて、本当はここでしなの鉄道に乗り換えてすぐに長野へ!と思っていたのですが
降りる機会があったのだから...と街をぶらぶらしてみる事に
駅前の観光マップで、上田城を見て、街を歩いて一周してこようと軽い計画を立てます
日本百名城にも数えられている、すごそうな城です(笑)
駅から左側に進んでいきます。上田城までの道は都会感がすごいです!
少し歩くと立派な門が
しかしこれはお城ではなくて高校のよう
上田城の三ノ丸跡に建物を復元してそのまま学校にしたそうですが、結構びっくりしました...こんな学校1日かよってみたいですわ、笑
お城に入る時だけ堀に橋がかかるあのシーンも体験してみたいです!いくらかかるんだって話ですけど💧
個々が入り口です。ちょっと皇居感あります
そして道は学生を中心に地元の人々でそこそこ賑わっていました。いいですねー(里)
でここがお堀跡です
現在こそ何もありませんが、ここは上田城が廃城になった後も上田電鉄真田傍陽線が走っていたそうです。上田市から真田市を結ぶものでした。
別視点からの写真です。今でもあったら散歩道を走る、軽い森林鉄道みたいな路線になっていたかもしれませんねー
とても雰囲気が好きです!
当時の写真はwikiに載っていなかったのでブログには持ってこれませんが
良かったら調べてみて下さい!
丘を上がって公園です。地元の方の運動場ぽくなっていました
中は金沢の兼六園のような雰囲気をしていました(伝わってほしい)
公園はこの奥も続き、とても広そうです
公園のすぐ隣に城跡があります(そんなもんなのでしょうか?)
めっちゃ立派な門です!
これが中です。ちゃんと観光地です
あまり広くないスペースに結構いろいろつめこまれてます
別視点から望みます。立派な石垣、そして石の一つ一つがとても大きいんです
しかし石垣に巨石を使うことは多かったらしく、城主はその大きさで自身のj権力の大きさを示して競い合ったそうです。ちょっとほっこりしますね
でもよく見てみると石の形は超バラバラでなんでもいいから積んどけって感じで作られたようにも思えます
大量の風鈴が飾られています
若い僕には風鈴が夏の風物詩だと言われてもいまいちわからなかったのですが
これは緑とお城の木材に合っててよかったです。カラフルできれいでした
ただ転住の風鈴をよけて進むのは結構大変でした(笑)
また、上田城は「おちない城」として有名で、受験頑張ります絵馬がものすごい数飾られています。
この後に少し話します!
意外と駅から登ってきていたことに驚きました
やっぱりお城は高台にあるイメージ強いですもんねー
上田城も実はかなりの自然の要塞で、千曲川など複数の川、険しい太郎山などに囲まれていたりします。
お城の左最奥地にあります。西櫓です
このあたりが本丸と言われていて、門の中は一ノ丸、お城から右向きに遠ざかるにつれて二、三ノ丸と場所に名前が付けられていました。
建物下(木でできた部分)には隠れながら矢や鉄砲を放つ口がはっきり見えます
窓は簡単に蹴り落して出向できるようになっているらしいです。いろいろ見れて面白かったです!
公園側もしっかり本丸を石垣で囲っていますね!
と。このままだとかなり小学生のような感想になってしまうので
調べました。上田城について
日本史の成績は散々でしたが、使わなくなった今になって勉強するとはね(笑)
ここは今こそのどかな土地ですが
真田激戦の地というのは本当です
徳川を2度も、それもかなりの兵数のハンデがありながらも退けた城なんです
織田、徳川、北条による甲州征伐で武田家(武田勝頼時代)が滅亡し、当時家臣だった真田昌行は独立して真田家として大名となったわけですが
その後いったん家康の傘下に入り、同盟を結びます
その後上杉に対抗するために交通の要所であったここ上田に城をつくろうと持ち掛け、実質自分の居城を作らしてもらいました。頭いいですねーw
これが当時の城図です。比較的簡素に見えますが、堅固な城だったといいます
天守閣はあったのかなかったのかで議論が分かれています。
真田昌行は天守閣は敵に自分の居場所を伝えに行くようなものと生前に語っていたそうですが、後からそれっぽいものが見つかったりもしているそうです
さて
この後家康は上杉を攻めるよう命じますが昌行はそれを拒否
まあ無理もありませんよね...独立してすぐですし兵は強くないはず
でもその後まさかの上杉に鞍替えしちゃったんですよ昌行
責める気もないんだから心強い者の傘下に入ろうと、少し前まで敵だったのに
結局上田城は上杉方の、対家康の城として完成ww
完全に利用されてしまいました。
当然家康は怒って攻め入ります
ここでここを舞台として1585年に第一次上田合戦が起こります。このころは織田信長ももうこの世にいません。これが例の激戦です
ここでは真田軍2000vs徳川家8000兵と圧倒的大差
しかし真田家は白前で敵をひきつけ、山の中にある戸石城からの奇襲攻撃でなんと勝利
少人数ながら徳川を退却させたのです!
しかしそれだけでは終わりません
1600年になって再び徳川軍が上田城を攻めます...
しかしこの時昌行は豊臣秀吉の参加となっており、その元で上田城の大規模改修が行われていました!
進化した上田城
しかしまたも衝撃的なことに真田軍3000兵に対して徳川軍の塀はなんと3万8000
10倍どころじゃないです。。。
しかも第一次合戦で使った戸石城は既に徳川によって攻め入られてしまいました。
かなり絶望的な状況に見えます
しかしそんなことはありませんでした
昌行は城の前、川付近や山奥の川上で兵を構え待ち構えます。
その後秀忠軍を城まで誘導します
秀忠は戸石城も抑えてあるので奇襲攻撃もなし、処理を確信?したかもしれません
しかし上田城は比較的小さい城です、天守閣が無いこともあり、一般人が見た感じでも分かります。
でもそれが徳川にとって都合の良くない話だということに、終始気づかなかったのでしょう…3万8000もの軍が城内に一斉に攻撃に入れば身動きが取れなくなることを…
城入り口で詰まった徳川の軍に対し、真田軍は城内全体から攻撃を仕掛けます。収集のつかなくなった徳川軍はたまらず後退して再度陣を立て直そうとします
しかしそれはかないませんでした
昌行が川上に設置しておいた軍、これが奇襲を仕掛けたのです、
上流でせき止められていた水を一気に流す奇襲攻撃です!
これによって徳川軍は壊滅します…
その後の関ヶ原進出へも多大な損害をもたらしました
昌行恐ろしや…
ひょっとしたらこれらは真田丸でやってて常識なのかもと心配しましたが
何よりもこれを調べてて面白かったです。すごいですね…
上田合戦に関わった人物で上田城を復元して使用(しよう)しようとした人物がいました
それほど堅城として名前が知れ渡ったのかもしれません!
圧倒的な兵の差を押しのけて勝った昌行、それまで全然知りませんでしたが超賢くて強いです。日本史って面白いんですねほんとに…(後悔)
僕も昌行みたいになりたい!(笑)
壊滅した秀忠軍(イメージ)
上田の地図、こんな地形にあります
下が上田駅ですねー
この後、さらに駅から離れて上田大神宮まで見てきました!
上田 神宮って検索すると元ヤクルトの上田剛史が出て来てしまいます、笑
上田の街並み(宿場街路)です
この時はお店はほとんど閉まっていました…
でも思ったよりしっかりと昔の街並みといったものが残されていて良かったです!
神宮から町並みを望む
交通の要衝だったためか、道路(特に店などの並ぶ街路)が広いなと感じました。
駅前はビル街、だけど少し歩くと落ち着いた住宅街
上手くお城周辺の雰囲気も町に染み込ませていて良いところだなあと感じてしまいます、そんな所でした!
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さて、前編はここで一回切らせていただきます。まさか歴史について思いっきり書く日が来るとは…笑
久しぶりな事とも相まってかなり時間がかかりました。軽く1日の睡眠時間を超えるくらいに…w
でも本当に楽しかったんです(笑)
勉強するのも大事だけど、こういう時間も大事と自身を持って言えるようにやっていきたいし、上手く回していきたい
誰になんと言われても。
いいですよね、こんな事を日常生活に染み込ませていけたら…
改めてかなーり長いブログになりましたが
最後まで見て頂きありがとうございました!
また後編もよろしくお願いします!
by shes
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終わらない夏休み
僕もきっとセプテンバーさん